2008年5月18日 (日)

「適応障害者の思考」のサイトアクセス制限を解除します

昨年夏に諸事情からサイトアクセスを制限させていただきましたが、タイトル通り、「一般公開」を再開します。

もう会社でも家庭でも無理をしない「第二の人生」を始めて数年が経過し、そこそこに安定した日々を過ごしている元・適応障害者です。ここで何か新しい記事を出そうとするものではありません。ただ、昨今の安直な「うつブーム」報道や、天皇家の嫁への(適応障害が何たるかを理解しようとしない)イエロージャーナリズムの攻撃、俄か精神科医や心療内科医による異常な薬物投与の放置など、無視できない事態が進行しています。

そんな世の中を見ていて、以前のように、このブログが少しでも関係者のお役に立つならと考え、、個人的には少々はリスクがあるのですが、再度「公開」に踏み切りました。

コメントやご質問などありましたらどうぞお気軽にお寄せください。

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2006年4月 1日 (土)

(最終回)完治に向けた閾値を超えました

このブログの売り、「適応障害者」としての資格が無くなりました。

安定剤を長期間服用していましたが、主治医やカウンセラー氏と相談の上で、1ヶ月前から減らし始め、数日前には完全に止めました。リバウンド(私の場合は耳鳴り)もだんだん収まってきて、昨晩にはほとんど消えて就眠できました。この朝、リバウンドは若干残っていますけれど、閾値は超えたと判断できるレベルです。

3月末日で週末、桜満開、民主党代表辞任、日経ビジネスで「ソニー、未来は見えたか」、、、などという時節感が、私の主観には大いに作用していると思います。「あとで振り返ればあの時が、、」と言うのが「正しい病人」なのかもしれません。しかしながら、自分の認識を変えることなしには完治はしない病ですから、この主観を尊重したいと考えました。(もちろん確認のための通院やカウンセリングはしばらくは続けますのでご心配なく。)

このため、このアカウントでのブログは最終回にします。読者の皆様、特にコメントを頂いた皆様には大いに感謝しています。ブログには一種の認知療法的な効果があるようで、内観療法で悪化した症状を約3ヶ月間でここまで持ってこれたのは、いろいろな事柄もありますが、ブログ抜きには考えられません。特に後半はそうでした。

別のアカウントでブログは継続します。似たようなブログを見かけましたら、ご愛顧のほどよろしくお願いします。また、このブログに新規記事は出しませんが、頂いたコメントにはマメに返信させて頂きます。

それでは皆様とりあえず、さようなら。そして、大変お世話になりました。ありがとうございました。

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2006年3月29日 (水)

Dr. H氏はなぜ「擬態うつ」を非難するのか?

[日経方面から来られた方へ:過去の記事ですが、類似の内容がありましたのでTBを入れさせていただきました。コメントなどいただければ返信させて頂きます。(2006/12/21)]________________________________________________________________________________________________

うつブームへの「便乗者」に罵声を浴びせるDr. H氏の存在を最近知りました。私も危うく引き込まれそうになりました。孫引きになりますが、こちらで分かり易くご案内を頂きました。

http://bookmark.tea-nifty.com/books/2005/09/post_1f63.html

今日は私のカウンセリング(記念すべき? 50回目)でしたが、Dr.H氏の定義する「擬態うつ」は初耳と言うカウンセラー氏に、概略を説明した上で意見を聞いてみました。ポイントは2つ。

1.うつブームへの「便乗者」は確かに存在する。その昔「ヒステリー」(注:「...他人の注意をひき、その指示を期待するという合目的性が本人の意識しない形で含まれている」《広辞苑》)と呼ばれたものを含み、最近の表現ならジコチュウ。辛いから甘えたい→今はうつが流行っているようだ→よし!となる方。これはプロならすぐに見抜ける。自分(カウンセラー氏)はそのような方は元の職場に戻す。(適応障害=「社内うつ」の場合は職場を変える。)

2.医者はこの手の「患者」は苦手。理由は、薬が効かず、時間がかかり、効率が悪いから。

この2.でタイトルへの解が得られました。また、Dr. H氏自身が自著の紹介で言う「私の真意は、擬態うつ病というものを描くことにより、逆に本物のうつ病の輪郭をはっきりさせようということです」の「真意」もよく分かりました。確かに、アマゾンでも多方面から酷評されています。

私のカウンセラー氏はとても実直な方で、「ドクター/カウンセラー・ショッピングはメンタルヘルスの分野では良い事ですから、合わないと感じたらどんどん変えてください」との助言も以前受けました。Dr. H氏を醒めた目で見直すと、今は「成長市場」のこの分野も供給過剰で市場競争に晒される日は近いかな、と改めて思いました。(既に私のカウンセラー氏は晒されていますが、、。)

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2006年3月26日 (日)

最後のTOEICで萌えました

今日はTOEICに萌えてしまいました。「萌え」には、古語の「琴線に触れる」の俗的表現という説明がWikipediaにありますが、まさにその通りでした。

スコアなどは二の次で、この2時間の「様式美」は日頃のストレスを解消してくれます。今回が慣れ親しんだ形式の最後ということもあり、つい3時間程前の事ですが、もう私の中では「一生の思い出」です。(偶然ですが、初めて母校での受験になったことも一因かな~。試験の後、思わず創始者の銅像に「報告」してしまいました。)

すべてがいつものように、、、集中力を高めるために土日の生活時間自体をシフトさせ、出題の引っ掛けパターンをノートで何度も確認し、早めに昼食を取って現地へ。会場の教室では、若いアルバイト諸氏が、リクルートスーツのような格好をして、(いつも)不慣れなアナウンスや問題配布に受験者をやきもきしさせながら、開始の瞬間を迎える。雑音に極めて神経質な集団が過ごす濃密な最初の45分、そして、徹底した時間管理で問題を解きながらも、他人が問題用紙を捲る音のプレッシャーを浴びる75分。残り5分ぐらいから一気に高まる焦燥感。終わった瞬間にはすべての時間が止まったような達成感。何と私の性格にあった「イベント」でしょうか。

今日も20-30才台の多い受験会場ですから、私はそこにいるだけで目立ってしまうのですがこれにはもう慣れました。(今日は100人程度の教室で私以上の年代は男性で2-3人しかいなかった!)特に今回は、前後左右斜め前/後ろがすべて女性という「幸運」な席です。私の日常にはありえないシチュエーション。こんな事も「様式美」に花を添えてくれました。

細かい事を言えば、あの写真問題はボケ突っ込み的な出題だったな、間違い探しは思いっきり「深い」問題があったな、Eメールの問題が随分と増えたな(5問はあったかな)、などなど。その筋の方が後からブログで「報告」されるのでここはほどほどにしておきます。(私の英語力や記憶力はその筋の方の足元にも及びませんし、、、)

この幸せな一日を振り返りながら、「萌えている」自分を発見して喜んでいる私はやっぱり変わっているのでしょうね

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2006年3月24日 (金)

「社内うつ」=適応障害

[冒頭にある追記] 本ブログへの新規記事を4/1で最後にしてからも、このタイトルには毎日二桁のアクセスが続いています。最後の記事から3ヶ月を過ぎ、私はほとんど完全復帰しているのですが、この記事へのコメントなどありましたら歓迎いたしますし、返信もさせて頂きたいと思います。(mmm, 2006/6/13)

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この種の記事で、久々に納得するものに出会いました。皆様のご参考まで。http://nikkeibp.jp/sj2005/report/82/

個人的には次のような内容に特に共鳴しました。<以下は記事からの部分的な引用です。>

本当のうつ病というのは遺伝的要因が強く、睡眠がまったく保てず、全体的なエネルギーがひどく下がってしまう病気です。うつ病はどこの国でもいつの時代でも人口の0.3%程度しかいない。ところが、相談に来る多くの人たちにそんな症状はなく、確かに職場では意欲や集中力が低下するが、職場を出れば元気になるし、住んでいる地域では町内会の世話役なども熱心にこなしている。つまり、これは適応障害なんですね。そこで、私はうつ病と区別するために、これを“社内うつ”と命名したんです。(中略)適応障害とは特定の人物や状況に遭遇したときだけ、苦痛や不安、抑うつ感に襲われる状態だ。こうした極度のストレスを引き起こす原因を“ストレッサー”と呼ぶが、社内うつでは職場の上司や仕事などがストレッサーとなり、自分でコントロールできないほどの状況になってしまう。そして、そのストレッサーが目の前から去れば、通常の元気な自分に戻るわけだ。 (中略)専門の医師でさえ、うつ病と社内うつを混同していることがあり、ストレッサーが何かを特定することなく、いきなり抗うつ剤を処方するケースもあるというが、これでは何の解決にもならない。 (中略)小杉教授は自らカウンセリングしている事業所の約1万4000人を対象に調査した結果、約6%強の社員が社内うつに該当することを突き止めた。 (中略)問題の多い事業所では15%ほども社内うつ状態の人がいました。カウンセリングルームに足を運んでいない人や軽症の人を含めて潜在的には一つの企業で30%程度は社内うつにかかっている可能性があるといえます。(中略)ある程度の権限を持って、仕事を動かし、先が見えるポジションにある人は社内うつにはかかりにくい(中略)仕事の量が多すぎて過労からうつ状態に陥るとよくいわれるが、ストレッサーになりやすいのは実は多忙であることよりも、仕事を自らコントロールできない不満や焦燥感にあるようだ。(中略)一種の天才的なスーパーハイパフォーマーは別ですが、まじめに努力してがんばって高い成果を上げているハイパフォーマーほど危ないと私は思います。彼らは成功したパターンにはまりやすく、『自分は仕事ができる』と自信過剰になりやすい。実はたまたま仕事が体質に合っていたり、時代や周囲の環境、誰かのサポートでうまくいっていたのかもしれない。そこを客観的に見ることができず、職種や職場や環境が変わって、一度失敗するとうつ状態になりやすいのです。

<ここからは私の思考です。>  私自身や私の(過去の)職場環境にはぴったりの内容です。流行言葉になりつつある「うつ」には何か周辺事情を覆い隠す響きがあります。引用中にあるような「遺伝的な要因」によって、会社や上司の責任を逃れようとする意図すら感じていました。「適応障害」という響きには、その環境にも問題があるという響きがあるのとは対照的です。強いて言えば、せっかく「適応障害」という分類があるのですから、「社内適応障害」と命名して欲しかったですが、「なんでもうつ」のご時世には「社内うつ」というコトバだけでも朗報です。

(日経BP社殿:ブログは「私的使用」だと思います。この引用に伴う、お咎めは無いですよね。)

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2006年3月21日 (火)

お彼岸に思う「義理通夜」の欺瞞

今日、WBCの誘惑にも負けず、お彼岸の中日にお墓参りをした方を尊敬します。

逆に、仕事関係での「義理通夜」は最悪で、欺瞞に満ちてます。仕事先や社内で「弔事連絡」をする方は全く困ったものです。ある流通大手の社長は、会社の規模がまだ中小企業の時、社員に「義理通夜」参列禁止令を出したそうです。理由は(企業規模がこれから大きくなって取引先が増え忙しくなると物理的にすべての「義理通夜」に行けなくなると)「ああXXも大きくなったものだ」と言われたくないからだそうです。私はこの合理的かつ倫理的な考え方には賛同します。そもそも、「義理通夜」は生前に面識が無い故人に失礼ではないかと思うぐらいです。

そして、他人の葬式になると生き生きとしてくる輩が私は大嫌いです。国を代表して参列する「弔事外交」というものがありますが、これとは意味合いが本質的に異なります。日頃仕事をろくにしていない(故に暇)か、そもそも仕事がこの手の表面的な「義理と人情」でしか成立していなか、更には「葬式泥棒」的にそこでセコク仕事の関係者を捉まえようとしているか、、。

そのような訳で、私は自分が納得した葬式にしか参列しませんし、それで特に困ったこともありません。願わくば、究極の個人(故人)情報である「弔事連絡」は、個人情報保護法の流れを受けて、社会から早く消えてほしいと思います。

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2006年3月20日 (月)

私が『ウェブ進化論』の梅田氏を嫌いな理由

『ウェブ進化論』の著者・梅田氏について、内容自体には得るものはあったのですが、読後に残った違和感(はっきり言えば嫌悪感)はなんなのだろうかと少し探ってみました。

1.相変わらず自分の主張が感じられない

これは数年前に高名なビジネス誌に「シリコンバレー在住者」としてのエッセーを毎週出していた時と同じ事です。自分が置かれた状況への批判精神が無く、「残してきたもの」への未練が行間から感じられ、結果として個人としての主張が感じられません。その空間に浮遊しているだけの存在にも思えてきます。単なる報告者であることに、(私がジャーナリストや学者だと勝手に思い込んで)「期待に応えてくれないこと」(*)があるのかもしれません。そういえば、同じ思いは、某大手調査会社の「シリコンバレー派遣」の日本人が当時有償で発行していた「シリコンバレー報告」(とかいった有償小冊子)にもありました。

2.ロジックが甘い

文章全体の構成に手抜きがあります。同じことを何度も言い訳がましく説明しているのは、この方の文章のスタイルなのでしょうか?また、著作というメディアにも関わらず、ほとんど図表がなく、出てくるものもそのタイトルや本文と合っていない点は象徴的です。(例:最後に出てくる図は「進化」を示すものではなく、現状の四象限による類型化でしょう。また、IBMやアップルなど企業の類型化がこの図でできません。)これらは過去のブログを焼きなおしているからかもしれません。また、ライブドアをソフトバンクや楽天などと同列に並べている点もロジックが合っていない上、見識にも欠けています。

3.米国のベスト&ブライテストへの疑いが無い

本文中に何度も出てきますが、(おそらくは自分よりも)「優秀な方々」がすることだから間違いはないだろう、と言う事を無条件に前提としています。むしろ、「あちら側」の問題点への別の視点からの指摘事項に対してはやや感情的といえるような非難をしています。すくなくても、米国のやる事に何の疑いを挟まないのはこのご時世ではオメデタイことだと思います。ベトナム戦争を振り返るまでもなく、この国の「ベスト&ブライテスト」はろくな事をしてこなかったという歴史観が少しでもあれば、もう少し醒めた目で現実を「報告」できるのではないでしょうか。これが徹底して欠けているため、多くの業界通の方が指摘される通り、今回の著作は「広告」として見下されているのではないかと思います。

*中島義道のいう「ひとを嫌う修行」のつもりで書いてみました。きっと私には「相手に対する嫉妬」や「軽蔑」もあるのでしょうね。

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2006年3月18日 (土)

ヒトの心を考えない「心理学を考えよう」氏

「心理学を考えよう」氏から、ヒトの心を考えないトラックバックがありました。(ウィルスなどのリスクも考えられるので既に削除してあります。)

ブログをされている方の多くは、コメントを通じてのやり取りはまだしも、マナー違反の一方的なトラックバックには不愉快な思いをされた方も多いと思います。それが明らかに変なモノは面倒くさいですが「削除」するだけですが、もっともらしいモノものには一応は目を通します。

今回の「心理学を考えよう」というブログのトラックバックは、それがたとえ「善意」によるものだとしても、ヒト(私)の心を考えているとは思えない代物でした。発信者のプロフィールなり考え方なりが分かればまでしも、ウィキペディアもどきの情報の「押し売り」だけでしたから、私としては「不信感」や「不愉快」が先立ちます。以下にその記録は残しておきます。

IPアドレス:   192.87.106.178
URL:          (ウィルスなどのリスクもありますから、掲載はやめておきます。)
記事タイトル: 認知療法
ブログ名:     心理学を考えよう

これがまた、「虚業」(*)っぽい無償サイト http://blog.seesaa.jp/を経由していることもイカガワシサ(セコサ?)を増幅しました。

無視をするにはモッタイナイ出来事でしたのであえて記事にしてみました。また、IPアドレスはこのブログにアクセスできるようにしてありますから、「心理学を考えよう」氏には選択肢を残してあります。

*備考:「虚業」は『ウェブ進化論』の著者・梅田望夫氏が一番嫌がることばだそうです。この分野に対する一面を突いているからかもしれません。

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2006年3月14日 (火)

中島義道は3/14にどんな言葉を添えるか?

中島義道に中てられてしまい、「嫌いな10の人びと」になっていなか「ソーカツ」というか、「ザンゲ」というか、過去を振り返って自己批判をする日々を送っています。

「笑顔の絶えない人」に外見は見えてしまうのですが、これは地顔のようなので諦めました。また、家族の「おかげ」もあって、最近は全く人にも強要していません。

「常に感謝の気持ちを忘れない人」は内観療法が反面教師になり、どうやら大丈夫です。

「みんなの喜ぶ顔が見たい人」が危ない。「関白宣言」の話しが出てきますが、あのような絶妙なバランス感覚を持てればな~と思います。

「いつも前向きに生きている人」は、適応障害で会社を休んでからは「辞めました」。

「自分の仕事に『誇り』をもっている人」は、給料分の仕事をしている会社員で、その会社が日本でちゃんと税金を納めていれば、まずは<考える資格>はあるだろうと思います。その上で、自分自身のやっている仕事の中身には決して「誇り」はありませんので大丈夫です。

「『けじめ』を大切にする人」だったように思います。「すたれていない規範に敏感」な自分を多く想いだしました。

「喧嘩が起こるとすぐに止めようとする人」ではなく、「止められる人」だった私なのでこれは大丈夫。

「物事をはっきりと言わない人」とは一度も言われた事が無いのでこれも大丈夫。

「『おれ、バカだから」と言う人』は、この著者が何を言いたいのか理解できなかったのでパス1。

「『わが人生に悔いはない』と思っている人」もパス2。

そんな訳で、今日の妻へのメッセージも精一杯に考えてこんなものにしてみました。

「お疲れ様です。あなたのためにできることは、工夫をして行けるようになりたいと思っています。文句をつけて下さいね。気が付かないので・・・。」

中島義道はどんなメッセージを添えたでしょうか?でもこの方の奥さんならそもそもバレンタインデーに義理チョコなんか渡す訳ないですよね。

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2006年3月10日 (金)

従業員によるブログへの書き込みから自分を守るすべ

タイトル通り、少々深刻な話題です。

こちらの記事が元になっています。コメントをmの名で入れましたのでご参照ください。http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/forbes/060310_blogger/

お時間の無い方のために記事を要約するなら、

  1. 米Forbes誌によると、米国ではブログへの書き込み方(内容や就業中か否か、など)によっては従業員を解雇することができる。
  2. それにも関わらず、米国企業の15%しか、この関連でのルールを定めていないし、そもそも法律もブログを想定していない。
  3. 会社は方針を定め、従業員に徹底せよ。(その中には会社のPCの使用も含めるべし!)

...といったところです。

米国系企業に勤務している私として、自分を守るために気を付けている事は、

  • このブログのようなに個人的なモノを就業時間中に閲覧したり、書き込んだりすることは控え、やむを得ぬ場合でも、標準の就業時間の前か後か昼休みにする。
  • 勤務先の会社名や個人名などが特定できる内容には極力言及しない。(今更かな~)
  • 仕事に関連のある投稿をする場合でも、会社のメールアドレスではなく、個人で持っているアドレスを使う。

...といったところです。

今のところ、お咎めはありません。でも、会社のPCで勤務時間中にデイトレイダーもどきをやっていた方が厳重注意を受けた事はありますので、自分も何らかの監視下にある事は覚悟していますし、万が一、お咎めがあった場合の申し開き方も決めています。

一般社員から取締役まで、喫煙者(タバコ依存症患者)が就業時間中に堂々と会社の隔離施設で雑談をできたり、先物取引業者等からの勧誘電話に長々と話しをしていたり(私はそれと分かれば「勤務時間中です。失礼。」と言って電話は3秒以内で切ります。)、携帯メールを延々とやっていても特にお咎めがない、などから考えれば、ブログの閲覧や短時間での書き込みなどは知れたものだと思っています。ただし、会社のメールアドレスを使ったり、内容自体に関する「常識」や「倫理」などは当然問われてしかるべきだと思います。

メールやWebの普及で私用電話や非効率な用事が減って、実質労働時間も増えたように、ブログの普及で発想や交流が広がってビジネスの創造に貢献でき、さらには仕事のストレスも減れば、きっとこんなことは「昔話」になるのではないか、と考えています。

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